今回は基隆市にある民族英雄墓を紹介したいと思います。基隆は昔、台湾の海の窓口であったこともあり、色々な国との関わりの歴史があります。民族英雄墓は、清代末期のフランスとの戦争により戦士した人々の墓です。
基隆ではあまり有名ではない、そして、ひっそりとした場所にありますが、周辺には色々なフランスとの戦争の史跡もありますので、歴史を感じながら見るのもいいかと思います。
民族英雄墓基本情報
史跡名:民族英雄墓
住所:基隆市中正區中正路
地図:
民族英雄墓設置の背景
二沙湾周辺は清朝期に清仏戦争時の戦場でした。基隆では8か月の間、両軍は戦い多くの命を落としました。戦死した清軍の墓は二沙湾丘陵地帯に作られましたが、日本統治時代には放置され荒れた状態になっていました。
1957年に基隆市政府は海岸近くの現在の場所に設置され「民族英雄墓」と名付けられました。
民族英雄墓訪問記
台鉄基隆駅を降り、海洋廣場を通って、大通りの中正路を歩き、高架の基隆港東外道路のちょうど真下に海門公園があります。この公園に民族英雄墓があります。公園ということもあり案内を見ると様々な花や木々が植えられているのがわかります。
こちらが民族英雄墓です。後ろには多くのコンテナが並んでおり、基隆港がすぐ近くにあるのがわかります。
こちらが墓石です。正面には民増英雄墓と書かれて理ます。その横に「蒋中正」と書かれています。こちらの題字は蒋介石元総統の字ということですね。
反対側には、かなり細かな文字で、書かれています。私は中文が読めないので、何が書いてあるかがわかりませんが、墓地の背景が書かれているようです。
横面にも題字が書かれています。
横面の反対側にも題字が書かれています。
墓地の近くは、大量のコンテナがあります。基隆港にかなり近いことがわかります。
今回は基隆の清代末期のフランスとの戦争の爪痕を紹介させていただきました。周辺には、台湾の近代史跡がいっぱいありますので、ぜひ、こちらの「民族英雄墓」も見てください。