【台北】「台北城門」清代に台北中心地を形成した城壁
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今回は台北の中心地にあった城壁です。現在は、壁自体は日本統治時代にすべて取り除かれましたが、城門は4つ残っています。すべての城壁が古蹟となっており、どこに城壁があり、現存している城門を訪れてみると、清代の街づくりがどのような感じであったかわかってきます。
それでは台北府城と各城門を紹介していきたいと思います。
台北府城とは?
清時代の1874年の牡丹事件(台湾出兵)後、日本勢力の防衛のため、1875年に台湾府から台北府の分離と台北府城を沈葆楨が上奏。台湾の台北大稲埕と艋舺の間に築城された面積約1.4平方キロメートルの城郭でしたが、日本統治後の1904年の台湾総督府により城壁の大部分が撤去され4つの城門が残るのみになりました。1935年に台湾総督府により残された4つの城門が史跡指定され、台北府城(北門、小南門、東門、南門)と呼ばれている。
清代の台北の地区割りは以下の通りで大稲埕、艋舺、城内に分かれています。
*艋舺は、現在の万華になります。(龍山寺のある地区)。
各城門の位置と昔の写真は以下のようになります。
各城門について
台北城南門(麗正門)
城門名:台北城南門(麗正門)
住所:台湾台北愛國西路
地図:
場所は中正紀念堂国家劇場側の公園路のロータリー側にあり、中華風の建物が印象的です。
昔の建物の写真と比較してみると、外観が変わったことがわかります。ちょうど建て替えられたのは国民党政府時代になります。
こちらの写真は1908年時点の南門近くの城壁です。近くに鉄道が施設されていたことがわかります。
台北城東門(景福門)
台北城東門(景福門)は総統府向かいの交差点にがあります。環状の交差点の所に特徴のある建物があるので、非常に違和感があります。名前は東門となっていますが、現在のMRT東門付近の場所とは全く違ったところにあります。
城門名:台北城東門(景福門)
住所:台北市中山区信義路一段
地図:
ロータリーの場所にあり、立ち入ることが出来ません。
昔の東門。建物は現在のものとは外観がまったく違います。屋根の両端の部分がピンと跳ね上がった建築様式です。現在の外観になったのは東門と同様、国民党政府時代になって改修されました。
台北城西門(宝成門)
若者の街である西門に台北府城の城門がありました。現在は、存在しないのですが、昔あった場所にはオブジェとして目印があります。
城門名:台北城西門(宝成門)
住所:台北市中正區衡陽路105號
地図:
若者が集う西門駅の6番出口を出ると、現在は、城門の形跡はなく、城門に見立てたオブジェがあります。別名宝成門と呼ばれていました。こう呼ばれていた理由は、台北城城門の中で最も華麗であったからです。城門が取り壊されたのは日本統治時代の1900年。市区改正に伴う城壁取り壊しと同時に取り壊されました。
清代の西門の写真です。写真からはかなり規模が大きそうで、屋根のあたりも立派ですね。そして近くに鉄道が施設されていたようですね。現在の若者街西門からは想像できませんね。もし今も残っていたら西門紅楼と匹敵するスポットになっていたのかもしれませんね。
北門(承恩門)
城門の中で一番保存状態がよく、清代に重要な役割した城門になります。
城門名:台北城北門(承恩門)
住所:台北市中正区忠孝西路1段
関連WEBサイト:http://view.boch.gov.tw/NationalHistorical/ItemsPage.aspx?id=1
*国家第一級古蹟
地図:
城門は5つありますが、清朝時代、北門は台北城の表玄関であり、一般的に南門から台北城に入った庶民とは違い、朝廷から台湾に派遣された地方官僚らは皆、この北門(承恩門)から城内に入りました。
唯一、閩南式の建築様式で、清代の姿を現代に残す古城門にもなります。写真は、清代の北門と城外の想像図です。清代には、すでに旧鉄道があったようです。承恩門という名前は、北向きであることから「承接天恩(天からの恩を受ける)」の意味から名づけられました。絵からもかなり重要な城門であったことが想像できます。
こちらは、日本軍の台北入城を描いた想像図になります。奥の方向に北門が描かれています。
現在の北門ですが、場所は、忠孝西路、延平南路、博愛路の交差点台にあります。北門郵局の近くにあります。今まで、撤去されそうになることもあったが、文化財保護の観点から、1998年9月付け公示で史跡として保護されることになりました。現在は、国家1級古跡として、どちらの方面から見ても存在感のある史跡となりました。
昔の写真ですが城壁が撤去されていること以外のところはほぼ同じですね。
撤去された城壁はどこに行ったか?
一部は、旧台北警察署の裏側の外壁に使用されています。歸綏街97巷2弄87號という狭い路地にあります。目立たないところに使用されていますが、ここには歴史がある材料が使用されているわけです。
台北の旅行も清代、日本統治時代の歴史を理解しながら街歩きをするとより台北を深く知ることができますよ。
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