【台北】「旧台北帝国大学医学部附属医院」インパクトのある病院建物
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今回は、228公園近くにある病院の建物の紹介になります。現在は、國立臺灣大学医学部附設医院ですが、日本統治時代には、 旧台北帝国大学医学部附属医院の建物でした。明治から大正に建設された建物らしく辰野式の建築様式で、日本人なら必ず気になる建築物だと思います。
それでは詳細を紹介していきたいと思います。
旧台北帝国大学医学部附属医院基本情報
建物名:旧台北帝国大学医学部附属医院
(現台大医院)
住所:台北市中正區常德街1號
ホームページ:https://www.ntuh.gov.tw/ntuh/ntuhgroup.jsp
地図:
旧台北帝国大学医学部附属医院の歴史
1895年(明治28年) 総督府が初の病院、大日本台湾病院を設立
1897年(明治30年) 現在の場所に木造造りの病院を建設
1912年(明治45年) 総督府営繕課課長 近藤十郎の設計で、現在のレンガ造りの病院を建設。
東洋一のレベルを誇る病院となる。
マラリア、コレラ、ペストといった研究がなされていた。
1924年(大正13年) 竣工
1938年(昭和13年) 台北帝国大学医学部の管轄下に入り、台北帝国大学医学部付属医院となる。
戦後 台湾大学医学院附属医院となる。
建築様式
設計者は近藤十郎です。彼は台湾では西門紅楼の設計もしています。赤レンガと白石貼りのルネサンス風の外観です。ファサード部分は装飾が多く、土台部分は、数メートル上げて半地下になっています。これは、衛生目的で防湿するためです。また上空から見ると建物の配置が左右対称の間取りになっていることがわかります。これは、Google Mapの航空写真で確認できます。
西門紅楼のブログ記事は以下です。
訪問記
MRT台大醫院站下車、2番出口を出て、公園路を南方向に歩いていきます。公園路の右手には228公園があります。常徳街のところを右折して歩ていくと左手にインパクトのある建物があります。これを見て気にならない人はいないと思います。
建物の前と中には多くの人がいます。そして、タクシーの台数が多いです。
建物の2階と3階部分ですが、丸い窓が非常に特徴的です。コンクリートの灰色とレンガの朱色が調和しています。
こちらが1階部分の入り口です。台湾の日本統治時代に建てられた建物と違い、円柱の柱は細目で丈は低めの造りになっています。1階部部の土台が数メートル盛り上げられた造りになっています。
建物の周りには、ヤシの木が植えられています。南国の雰囲気があり、この建物と合っていますね。
常徳街から撮影したところですが、異空間の雰囲気があります。
228公園周辺には、総統府を初めとした日本統治時代の建物がたくさんあります。ぜひそれぞれの建物を比較しながら見比べ見てください。
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