【台北】「西門紅楼」若者の街、西門の観光スポット

2021年3月4日歴史的建造物, 台北

 西門は、若者の街で、台湾の原宿と呼ばれたりもしています。非常に若さが感じられる街です。そのような雰囲気の中で、歴史を感じられる建物があります。「西門紅楼」という建物です。今回は、「西門紅楼」の紹介になります。この建物は、日本統治時代に建造されたものですが、その当時も人で一杯だったのだろうなと推測してしまいます。現在と過去と感じられる場所ですね。

西門紅楼基本情報

建物名:西門紅楼

住 所:台北市万華区成都路10號

営業時間:火曜日~日曜日11:00-21:30、金・土22:00まで延長(月曜日休館)

ホームページ:https://www.redhouse.taipei/index-jp.aspx

*三級古跡

地図:

グーグルストリートビュー

西門紅楼の歴史

 1895年の日本の台湾統治により、日本からの多くの移住者に対応するため、台湾総督府は西門付近の空き地を日本人の居住地として整備しました。1896年には、西門横に簡素な木造の建物を中心とした市場ができ、移住者の生活必需品を売られるようになりました。1907年に台湾総督府は、このの木造市場に替わるより充実した市場とするため、建築家の近藤十郎に西門市場の建設を委託しまし、翌年の1908年、台湾で最初の公設市場として、西門市場が完成しました。その後、西門城壁が撤去され、台湾総督府がこの場所に、市民の憩いの場として、楕円形の公園を整備。1911年には、西門市場近くに日本人の信仰する稲荷神社が設置されました。
 西門市場の入口だった2階建ての洋館は、日本統治時代には、八角楼と呼ばれていました。建物の形が「八掛構造」となっているのは、繁栄を期待してという理由であり、建物全体は、「十字架構造」となっています。八角楼と十字楼に両側の南北広場を合わせて「西門紅楼」となります。
 戦後、八角楼を接収した上海の商人が、赤れんがでできていたことから、西門市場を「紅楼劇場」と改名し、1963年からは紅楼劇場は映画館となり、名称も「紅楼劇院」または「紅楼」という略称で呼ばれるようになりました。
 1997年に内政部が紅楼を第3級古跡に指定し、名称を「西門紅楼」に定め、現在に至ります。 

西門紅楼訪問記

訪問日:17年8月
 MRT西門駅6番出口を出ると、すぐそこに西門紅楼があります。レンガ色の歴史感漂う建物なので、これを見て、通り過ぎる人はいないかと思います。

西門紅楼の見取り図は以下の通りとなります。歴史のところでも説明しましたが、八角形と十字型の建物が一体となっていることがわかります。

こちらが西門紅楼の配置図になります。縦に長い建物ですね。(資料は、西門紅楼配布資料から)

西門紅楼

17年に修理が完了し、レンガの色が非常にきれいになりました。また修理前と比べると看板のデザインと位置が変わりました。修理前の写真はまた、後ほど。

中に入ってみると、展示物が色々とあります。写真や展示物をベースとした博物館のような雰囲気があります。

中は、展示物の他に喫茶スペースもあります。日本統治時代の雰囲気が味わえるかもしれませんね。

こちらは、当時使用されていたレンガと1908年時点の紅楼です。現在は、紅楼の前に大きなスペースの広場がありますが、当時は塀で囲まれており、門の部分から中に入る形になっていることが推測されます。

次に2015、16年に行った時(修理前)の紅楼です。遠くから見える建物の雰囲気がすごくいいです。

修理前の建物は、レンガの色に時代(年数)が刻まれており、いい感じの色でした。また看板の位置と看板の字体が変わりましたね。個人的には、以前の方が好きでした。

こちらが紅楼の入り口になります。

中に入ると、昔にタイムスリップしたような雰囲気があります。

照明器具も非常に歴史を感じますね。

2階に通じる階段がありましたが、訪問時には2階の見学はできませんでした。

建物の中の展示物は、日本統治時代の写真、企業のホーロー看板、日曜道具を中心に飾られていました。展示物の多くは、懐かしいものがありました。

最後に夜の紅楼です。夜でも見学していいる人がいました。

西門は、日本人旅行者が行く場所でもありますので、西門紅楼もぜひ見てください。MRT西門駅を降りてすぐの場所にあります。

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