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【台北】「林森公園(明石元二郎総督の元墓)」

2020年4月18日歴史的建造物, 台北

 林森北路沿いにひっそりと鳥居のある公園があります。林森公園という公園です。この場所は戦前の日本人に関わりのある場所です。日本統治時代には日本時の共同墓地(三板橋墓地)として利用されたが、戦後、外省人の違法住宅が集まる地となってしまいました。
 1997円陳水扁台北市長(元台湾総統)も推進により、市民の憩いの場である公園として再開発されることになりました。
 昔の写真と経緯が日本李登輝友の会 台北事務所のブログにありますので、ご参考に・・・
 URL : http://twoffice.exblog.jp/16157684/

公園名:林森公園(明石元二郎総督の元墓)

住所:10491台北市中山區林森北路211-225號

森林公園の歴史:
 森林、康楽公園は、昔、「三橋橋」と呼ばれていました。清代には、兵舎が設置され、日本統治時代の初期段階から次第に墓地となっていきました。1896年に第三代総督の乃木希典の母親が葬られた以降、日本人専用の墓地となっていきました。1900年には正式に共同墓地となりました。戦後は、中国大陸の舟山、海南などからやってきた軍民の避難所となり、墓石をバラックの梁などに流用した違法建築群が50年近く存在するようになりました。

地図:

南京東路一段方面から林森公園に入っていきます。公園内は木々が植えられており、休日には親子連れがいます。この場所が、日本統治時代には墓地、戦後はバラックになっていたのが信じられない感じです。

林森公園の木々の間から大小の鳥居があります。

ここで大小の鳥居がここにあるのかを説明したいと思います。
日本統治時代に三坂橋墓地には鳥居が3つ存在していたが、90年代には大小2だけが残った。大きな鳥居は第7代台湾総督である明石基次郎の墓に付くものと確認され、第8代総督の田健次郎によって、1920年の明石総督年忌日の前に建てられました。小さい鳥居の方は、柱に「昭和10年」と書かれており、調査の結果、鎌田正威に付くものであると推測されている。

こちらが大きな鳥居で、明石元次郎総督に付く鳥居です。

こちらが日本統治時代の鳥居と明石元次郎の墓です。

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こちらが小さいほうの鳥居です。

昭和10年10月有志建之と書かれています。

公園に整備される前のバラックが並ぶ林森公園です。

最後に大きな鳥居に付いていた明石元次郎を紹介したいと思います。
明石元二郎とは?
元治元年(1864)~大正8年(1919)
福岡藩士の子供として生まれる。
大正7年(1918年)に台湾総督に就任(在任期間は、1年3か月)
着任直後の総督府高官への訓示は「台湾の産業、貿易が振るえば繫栄する。内地人、本当人(台湾人)を協和させ、文物を興旺にし、母国と人心を一致させることが統治の主要目的だ。言語風俗の違いから来る障害を取り除き、結合融和させよう」と統治の理念を知ることができる。
在任していた期間は、産業の発展の基礎建設が求められていた時であり、日月潭水力発電所、水利システム、嘉南大圳の建設を命じた。また司法制度の改革、教育面では、台湾教育令を発し、台湾の教育の基礎を確立した。
台湾の基礎を作った明石元二郎であるが、在任期間はわずか1年3か月と短い。大正8年(1919)、内地に向かった際、福岡の地で亡くなっている。亡くなった遺体は、台湾に運ばれている。なぜか?それは、明石が内地に向かう前に遺言として、「もし自分の身に万一のことがあったら、必ず台湾に葬るように」「余は死して護国の鬼となり、台民の鎮護たらざるべからず」として残していたためです。そして、台北で葬儀が行われた後、三板橋墓地(現在の林森公園)に葬られた。
台湾総督は、19人が着任した。この19人のなかで、今も台湾の地に眠る元総督は、「明石元二郎」ただ一人である。


林森北路付近は、よく日本人が行く場所でもありますので、一度、立ち寄ってみてください。
林森北路付近の見どころスポットはこちらです。https://oitaiwan-pic.com/post-745/

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