【新北】「滬尾砲台」台湾北部の防御拠点

歴史的建造物, 新北

 今回は台湾北部の淡水にある「滬尾砲台」という史跡です。清仏戦争後に造られた砲台で、かなり規模も大きく、台湾北部の歴史を知るにはよい史跡です。

滬尾砲台基本情報

史跡名:滬尾砲台

住所:新北市淡水區中正路一段6巷34號

営業時間:9:30-17:00(月~金)
     9:30-18:00(土、日)

入場料:80元

kkdayの淡水古蹟博物館(紅毛城・清末期淡水関税務司官邸・滬尾砲台)入場チケット
https://www.kkday.com/ja/product/30458?cid=9464
*近くの紅毛城の入場券もセットになっています。

休館日:毎月初めの月曜日

滬尾砲台施設案内:

地図:

滬尾砲台の歴史

 清仏戦争の講和後、台湾巡撫の劉銘伝は台湾の防衛を強化するために澎湖、基隆、淡水、台南・安平、高雄・旗後の5か所砲台の建設を行いました。淡水に設置されたものが滬尾(こび)砲台です。

滬尾砲台の建築様式

暗砲台・・・厚くそして高くそびえた土壁と周囲が木々に覆われていることから、外部に築かれにくいかくれた砲台になっています。

1.土壁
  砲台を囲む外壁は砲台より高めになっています。高さは約6.5mで防御の機能を備えています。

2.トレンチ
  トレンチは土壁と内壁で仕切られています。

3.軍門
  砲台への出入り口はひとつです。軍門には劉 銘伝が書いた「北門鎖輪」の門額があります。

4.内壁
  内壁の厚さは最大4.2m、最も高いところで7mもあり、非常に強固な造りです。

5.砲座
  砲座は主に海側に集中して配置されており、射撃角度は淡水河口全体をカバーする構造です。
  砲座は4つありました。

6.被覆土
  広場にあった兵士の部屋上部を覆った土ですが、柔らかく着弾を吸収する機能がありました。

7.通路
  内壁内には弾薬室と兵士の部屋を結ぶ通路が設置されていました。

8.広場
  広場には清朝期に兵士の部屋が設けられていました。

滬尾砲台訪問記

今回は砲台の北側にある滬尾砲台公園から歩いていきます。公園から砲台までは少し歩きます。

砲台の近くの道を歩いていると大きな石の塊が目の前に現れてきます。かなり圧倒される大きさです。石壁の周りにはトレンチ(溝)があり、ここを歩くこともできそうです。

こちらは木の茂みから砲台が見えます。周りを木々が覆っているため、戦いのときには目立ちにくい構造ですね。

こちらは砲台野間らりのトレンチ(溝)です

入口にやってきました。こちらで入場券を買いました。

こちらが砲台の入り口です。出入口はひとつだけです。

入口の上には劉 銘伝が書いた「北門鎖輪」の門額がります。

写真では規模の大きさがわかりずらいと思いますので、動画を撮影しました。

こちらは明治28年当時の写真です。壁の内部も見えますが、この当時は今は存在していない建物があることがわかります。

台湾諸影写真帖「台湾総督府」、淡水砲台(明治28年11月)より参照

入口を歩いて中に入ると、当時は建物がありましたが、現在はありません。

入口から見ると正面は大きな広場となっています。当時はここに建物があったようです。

内部には色々な模型や説明の展示があります。

次に砲台のあった上部に行ってみたいと思います。

こちらが砲座部分です。かなり大規模なものがあったものと推測されます。

近くに説明がありましたが、英アームストロング製の砲台大砲があったようです。大砲は4基あったようですが、日本統治時代に日本軍が接収したといわれています。第二次世界大戦で溶かして鉄製の武器か軍機に使用された可能性はたかいかもしれませんね。

砲台のある上部から広場を撮影したものです。手前の円筒のものは通気口です。

滬尾砲台はかなり規模が大きく見る価値があります。また展示物等も多いですので、台湾北部の歴史を知るためのよい史跡です。

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